久しぶりにメンタルの記事を書きました!

先日、気分がくそ悪くなった出来事を
愚痴も交えて(笑)、解説します。

というのも、まぁ
いつものテンプレートのような会話なんですが…

先日、母と会話していた時に
話の流れで、体が不自由な人の話になったときに
「お母さんがもしそうなったら、よろしくね~」と、
すり寄るように言われたことに強烈な嫌悪感を感じました。

もちろん、そういう事態になれば頼まれなくても介護するでしょうけれど
その割に食事改善する気はあまりなさそうで、甘いものもパンもやめる気は一切ない。
テレビで言うコレステロール信仰のまま、コレステロールが高いだとか言っている。

わたしは医療従事者として働いてきたこともあり
なんだか介護要員としてこの世に生まれたような嫌悪感を感じさせられたのでした。

たしかに、介護でも受ければ、嫌でも付きっ切りで人がついてくれますから
さみしがりの人にとっては、そのほうが安心なのかもしれませんが
そう言われて「いつでもわたしが介護するから安心してね♡」と言える人って、どのくらいいるのでしょうか。
(それはそれで、いつでも要介護になってくれていいよ、と言っているようで
冷たいような感じもする。苦笑)

自分の喜びが他人基準になっている

おそらくきっとそんな優しい言葉や
「そんなこと言わないで」的な言葉を期待しているのでしょうが、
言われた側がいやな気持ちになるのは少し考えればわかること。

要は自分が愛されていることを確認したくて
「自分を見捨てないでね」と言いたいのでしょう。

育ててくれた親の介護を嫌な顔するなんて、という異論は要りません。
子育てと介護を同じものとして捉えるのはどうなのかなと。

楽しみを他人がくれるのを待っている

そんな不快な会話はまぁいつもなので無視していますが
それよりも、病気になったり介護を受けるのを
心待ちにでもしているかのような口ぶりに、失望したのです。

いつまでもそうやって、自分で自分の楽しみや喜びを見つけることもできずに
人から何かを与えてもらうことを待っている
しかできない心の貧しさに。

今健康な体があることに、自ら楽しみも感謝も見いだせず
「人にお世話してもらうこと」を楽しみにしているなんて
情けないと思いませんか?

※介護や支援を受けている人のことを「情けない」と思っているわけでは決っっしてありません。
健康な体がありながら、それを存分に使おうとしていないことに対して色々思ってしまうんです。

まぁ、これまで身を粉にして家族のために尽くしてきたから
早くラクしたい、という気持ちなのかもしれませんが
子育ては10年以上前に終わっているわけなので
そこから舵を取るか否かはもう、人のせいではなく自分の責任だと思うんです。

栄養不足だと、心が貧しくなる

結論から言うと
心の栄養失調をはじめとする質的栄養失調があると
こういう他人依存型の思考になりやすい
、とわたしは思っていて。

いつまでも幸せが自分のもとにこない不毛さと
誰かを、何かを、社会を、国を責めたくなる気持ち。

こういう、自分の幸せを他人に確認しないとかみしめられない人って
残念だな、って思うんですよね。
(そしてほとんどの場合、自覚がない)

そういう自分も、これまで例にもれずそうだったからこそ
嫌というほどわかるんです。

人のせいにするのは、心の栄養不足

これはなにも、今回の会話のような
子供に依存する親の話に限りません。

友人でも、家族でも、旦那でも、彼氏でも、
依存先は誰にでもなりうるし
それは依存というわかりやすい形ではなくて
責めたり、嫉妬したりというのもそうですよね。
最近なにかと問題視されている、ネット上の嫌がらせや誹謗中傷もそう。

自分で自分の幸せを決められない人。
自分の幸せや喜びを他人に委ねて、人のせいにする人。
なんでも人と比べて一喜一憂する人。

そのわりに、逃げるなり自分の足で立て直すなり
そういった行動は自分から起こせない、起こそうとしないというもの特徴。

まぁこれって、横並びの学校教育や
「みんな一緒」を良しとする日本人特有の風潮的なものもあると思いますが

ただ一つ言えることは
そういう不毛な依存や嫌がらせをしてくる人、
自分の幸せを自分で見つけられずに、他人を責めたり依存する人って
圧倒的に女性が多いイメージがあるし

たとえばこういう食事改善や医療にしても、
サプリのレビューとかクチコミを見たりすると
自分には合わなかった!損した!あそこはインチキだ!みたいな
被害者面したレビューを一定数見かけます。

男性だと、これまた最近よく耳にする
人に攻撃的な老害男性とか、DV男性
性別問わずクレーマー気質な人とかも
依存の裏返しなのかなって思ったりします。

女性みたいに人に甘えられない、甘えたらかっこ悪いから
自分の思い通りにならない不満やさみしさを、
怒りとか力を誇示して威張り散らして、欲をぶつける。

依存女子と攻撃おじさんの共通点

これはあくまで想像ですが
こういう人の食生活って、どんなものだと思いますか?

パン・カップ麺・スナック菓子…
少なくとも、健康的なものではなさそうじゃないですか?

こういう、短期的にお腹を満たしてすぐにエネルギー切れを起こす精製糖質が
目先の空腹を満たす代わりに、心のエネルギー切れを起こさせている
そんな風にも思ったりします。

そういう自分も、
「彼氏が○○してくれない」とか、人を責めていたメンヘラの頃は
こういう、パンとかピザとか、そんなものばっかり食べていましたから。

「食べる幸せ」を健康的に味わっていれば
ヒステリック・批判的になりにくい

自分の幸福度を根っこから底上げする方法って
やっぱり、生理的な「三大欲求を満たす」ことだと思うんです。

これは精神論になるけれど
日頃、体が求めるものを食べて「食べる幸せ」を健全に感じていれば
そもそも幸福度のベースが上がって、ちょっとした事にヒステリックになったり、悲壮的になりにくいと、わたしは思っていて。

栄養的にも満たされるし、
精神的にも「美味しいものをちゃんと食べている」という満足感がある。
体を満足させるのが先なのかな、って思ったりします。

辛い思いをして義務感で栄養改善するのは逆効果

とはいえ、欲のままにジャンク品を貪ればいいかというとそうではなくて
逆に、神経質に栄養価を計算して、体に悪いものを徹底排除すれば幸せになれるかというと、そうでもなくて…

料理や栄養を考えることも、
楽しんでやるのと、不正解に怯えながら義務感でやるのでは全然違うじゃないですか。

この辺りがきっと、食生活の変え始めは難しいですよね。
なのでこのあたりの加減というか、ベターな方法を
このブログで一緒に考えて行けたらという思いです。

まとめ:自分のことくらい、自分で幸せにしろ

ちょっと話が派生しましたが
結局、自分の幸せって自分が作るほかないし
それを他人に委ねていたとしたら、それが崩れたりなくなったときに
文句を言う権利なんてないと思うんです。

「お客様第一」とか「国民の幸せのために」とか
大義名分では言っていますが
他人の幸せに責任とってくれる人なんていませんし

親身に話しかけられたところで
「優しい」と感じる人と「うっとうしい」と感じる人がいるように
その人が何を求めているかによって、
幸せととらえるか不幸ととらえるかも変わってきますから。

結論、
自分のことくらい、自分で幸せにしろ。
それができないなら、他人に用意してもらった環境に文句言うな。

ということです(^^)/

わたし自身ももともとそういう依存気質のメンヘラだったからこそ、
日々気を付けなきゃなと思うばかりですし、
自分で頑張りたい!という意思のある方を応援したいと思っています。

おまけ:自分満たしのスイーツにご用心

あ、これは補足ですが
自分のご機嫌を取るために甘いものを摂るのは
たまにだったらまぁ良いのかなと思いますが、
長期的には栄養不足を助長するのであんまりおすすめしないですよ~。

食べる以外にも楽しみはある

「食べる」以外にも満たし方はあります。

スイーツ食べるくらいなら、
アクセサリーや綺麗なポストカードを買ってみるとか、
歌を歌うとか、散歩してみるとか…
それでも何か食べたいなら、お肉お魚をお腹いっぱい食べましょう!

「自分のために作る」も癒し効果がある

なんなら自分のために手間暇かけてごはんを作る、というのも
癒し効果がありますよ。

料理嫌いなわたしも試行錯誤でズボラ料理を作っていますので
よかったら参考にしてみてください。
→ズボラ高蛋白・高脂質メニュー

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モンド

オンライン栄養サロンを運営。 からだはもちろん、こころの不調や活力低下と、食べるものとのつながりの大切さ、 新しいようで人間本来の食の概念を知ってもらいたく、活動を行っています。